給費制の一年延長

朝日新聞は、給費制の「理念なき存続」を心配している。同紙は11月24日付けの社説において給費制に対して批判的な論評を展開した。曰く、日弁連の給費制存続方針に積極姿勢を見せる公明党をつなぎとめたい民主、自民両党が乗った今回の方針変更に対して、「法律家をどう育てるか、税金をいかに有効に使うかとかいった理念や哲学は見いだせない」と。確かに、国会運営の都合によるあまりにも突然の方針変更という感は否めない。しかし、果たして貸与制自体に理念はあるのか、あるとしても、それは実態を踏まえたものなのかという検証はいずれにしても必要だろう。同紙がいう理念とは、法曹人口を拡大させることによって法の支配を社会の隅々まで行き渡らせようというものである。この理念の実現のために貸与制が必要となった。では、その理念は実態を踏まえたものだったのだろうか。結論から述べると、その理念はおよそ実態を踏まえたものではないだろう。ただ、注意を要するのはここでいう実態とは法曹人口の拡大によって弁護士が就職難となり若手弁護士が疲弊しているといったものではない。このような実態を念頭において給費制維持を叫んだとしても国民の理解は得られない。より重要な実態とは、3000人合格計画の下2000人程度しか合格させないなど年々難化していく新司法試験の下で、平成15年には39,350人もいた大学入試センターの出願者が平成22年では8650人にまで急激に減少しているということだ。法曹人口の拡大という理念を実現させようと考えるならば、法曹への門戸は広ければ広いほどいい。同紙は、法曹人口の拡大という理念を叫ぶも、この門戸が閉じられている実態に何ら触れていない。そして、その実態の原因は、高額な法科大学院の授業料、新司法試験の合格率の低下といった法曹を目指すリスクが極めて高いことにあるのは明らかだ。給費制は、このリスクの高さを軽減させることができ、法曹への門戸を拡大させることに資するものであり、法曹人口の拡大という理念を実現するのに不可欠なものだろう。同紙による貸与制の「実態なき移行」には疑問であるし、同紙からは『法曹人口の拡大に向けた』具体的な提案が何ら示されていない。
また、同紙は述べる。「①過疎地で活動するなど公の使命を担った弁護士には、貸与したお金の返還を免除する。②国選弁護の報酬を増やす。③貧しい人が裁判を起こす時、国が援助する事業の予算を充実させる(番号、えふ師)」と。まず、①について考える。同紙は法曹の「その役割を考えれば、社会が一定のコストを引き受けるのは理解できる」としている。ここまでは給費制賛成のみならず反対の論者であっても共通の認識だと思われる。この認識に基づいて貸与されたお金の返還の免除を提案しており、ここでは公、公共の利益に資する法曹であれば国民の税金で育てようという考えが前提となっている。しかし、法律知識に乏しい市民に、あるいは企業に高度の法的サービスを提供し、法社会を機能させていく、これが公共の利益を担う弁護士の『日常の』業務だろう。弁護士の業務は、そのほとんどが公共の利益に資するものといえる。そうだとすれば、ほとんどの弁護士が公の使命を担っているといえるのであるから、公の使命を担った弁護士に返還免除を検討している(実質的にみて給費と変らないだろう)同紙も弁護士の卵を社会が育てるという、給費制に考えが及ぶのが自然なはずだ。それにもかかわらず、同紙が(あくまでも一律か?)給費制を反対しているのは、公、公共の利益というものを狭く考えすぎていることにある。例示されている過疎地で活動する弁護士だけが公の使命を担っているわけではないし、まして刑事事件だけをやっている弁護士だけが公共の利益に資するわけではない。弁護士が提供する業務は、そのほとんどが公共の利益に資するものである。弁護士の業務に対する認識を改めて欲しい。
次に②③について考える。なるほど、国選弁護の報酬を増やす、貧しい人の裁判を受ける権利を保障する体制を整える、当然だ!!しかし、これらは司法修習生の貸与制問題と絡めて論じられるものなのだろうか。この②③については、司法修習生の給費について議論される前から既に問題が表面化していた。そして、当時、誰が司法修習生の給費を停止して②③の問題を処理しようと言ったのだろうか。管見によるかぎり司法試験合格者1500人時代においても誰もそのような意見を述べたものはいない。これが意味するところは②、③の問題の提起が司法修習生の給費を問題としていたのではなくて、司法予算の『枠』自体が少ないことに問題があったことを示している。誰も司法修習生の給費の問題と②③の問題を関連させて論じてた者はいない。そうだとすれば、同紙が②③の問題を指摘するのであれば、司法予算の枠自体が少ない点を批判するのが筋であって、司法修習生の給費の問題と絡ませて論じる話ではない。誰もが納得できること(②、③)を司法修習生の給費の問題につなげて論じ、貸与へと世論を動かす、その手法はいささか強引に思える。
加えて、同紙は「日弁連執行部は今春から『金持ちしか法曹になれなくなる』と唱え、『借金があると利益第一に走り人権活動ができなくなる』と脅しともいえる言葉で存続を訴えた」と論じる。日弁連執行部の実態を踏まえた問題の指摘を単なる「脅し」と考えて思考を停止させていることに戸惑う。日弁連執行部の主張はデータに基づく実態を踏まえた危機感の表明である。同紙が実態を踏まえずに理念だけを先行させていることをこれほど物語っている言葉はないだろう。

次は、日経新聞の11月20日付けの社説について述べてみたい。基本的に朝日新聞の見解に対する反論に尽きており、特に論じることはない。ただ、日経新聞は新修習生の約15%が貸与を申し込んでいないことについて触れ、「修習中の生活を自分でまかなえる人が結構いるのではないか」と述べる。約75%の修習生が貸与を申し込んでいるにもかかわらず、約15%について『結構いる』という感覚は理解に苦しむ。しかも、その約15%の中でも保証人になってもらう方がいなかった、法科大学院の借金で限界であってこれ以上借金を重ねることができないという方もいる。それにもかかわらず、『結構いる』と平然と言ってのける同紙の理解には納得できない。また、同紙が「法曹になれば、社会的な地位と水準以上の収入が期待できる。そうした利益を受ける本人が資格取得に必要な費用を負担するのは世の中の常識だろう」と述べていることには大いに疑問だ。そこには弁護士が公共の利益に資する役割を担っていることについての認識が全くなく、給費制に反対している中でも異質だろう。きちんとランキングまで用意して高額収入を得ているようなビジネスローヤーしか興味がないような同紙らしいといえばそれまでだが、それを常識にまで持ち込まれると困惑せざるを得ない。約15%を捉えて『結構いる』と論じる同紙が持っている常識とえふが持っている常識は異なるのかもしれない。最後に同紙も法曹人口の拡大に歯止めがかかることを懸念してる。しかし、実態を虚心坦懐に見つめ直し経済合理的に考えるならば中長期的に法曹人口の拡大に必要な政策が何なのか。自ずとみえてくるだろう。

国会議員、弁護士の先生方、ビギナーズネットの方々、この問題に真剣に向き合って活動されてきた方々に感謝します!!お疲れ様でした!!