参議院議員定数不均衡について思うこと

そういえば、参議院議員選挙が行われましたね。
あまり詳しく把握してないですが、定数不均衡が約5倍の較差で、例によって争われるそうです。
最近の衆議院議員選挙における定数不均衡訴訟では投票価値の平等を重視する下級審判決が相次いでいますが、この流れが参議院においても続くかというとどうでしょうね?
よく言われるように、参議院ではその独自性や地域代表的性格、半数改選制等を理由として結構な較差が許容されちゃってますしね。
ところで、ちょいちょい衆議院参議院の多数派の構成が異なるという「ねじれ」が生じるようになり、参議院の役割が重要になってきてます。参議院の役割が多様な民意の反映や衆議院の暴走防止にあるなら「ねじれ」って本来あるべき姿ではないのって思います(不安定だし、衆議院で与党が3分の2以上とってないとキツイですが)し、これこそが参議院の独自性の発露でしょう。そして、この「ねじれ」は強力な民意によって形成されるもんであり、選挙制度がどんなものであれ、「ねじれ」るときは「ねじれ」るし、「ねじれ」ないときは「ねじれ」ん。
確かに、従来みたいに参議院衆議院のコピーと言われ、その役割や意義が疑問視されている状況にあれば、あえて独自性(最判がいう、独自性って衆議院とは形だけでも選挙制度を異ならせるという形式的な意味にすぎないと僕には思うけど)を明らかにする必要があった。けど、きちんと「ねじれ」(何も必ず「ねじれ」るべきだとは言わないけど)てくれて、参議院の独自性を発揮できるならば、形式的な意味での独自性を強調して、投票価値の平等を犠牲にしてまで重視するもんでもないでしょう。
現実に参議院の役割が重要になった今、違憲だけど事情判決の法理援用、あるいはよく個別意見にみられるような今度は容赦しないぜ!んじゃ、また3年後会いましょう!それまで努力してね!みたいな判断はイヤだなーであり、参議院の(実質的な)独自性を踏まえた(国会のみが考えることでもないでしょう)上で、合憲とするならする、無効とするならすることが求められますね。
何の利益も求めず、尊い権利の重要性のために戦う者と二日酔いで立てず午後にはビアガーデンで飲み投票を行わなかったえふとでは、雲泥の較差が認められる。つらいなー うーん。