清水健太郎氏・・・

清水健太郎が、また薬物絡みで逮捕されてしまいましたね。単なる馬鹿・・・で終わらせることができない。あまりにも弱い人間の姿を見せられてる気がする。

ちょっと一般論を。

あの凶悪犯罪者に死刑判決が下るのか、あるいは罪を本当に犯したのか、これは社会の重大な関心事となる。ただ、一度判決が確定した後、囚人がどういう末路を辿るのか、被害者を除けば社会の関心から外れる。その原因は、塀の中という社会から隔離された場所の情報があまりにも乏しいことに加えて、判決によって問題が解決されたという幻想に近い考えに起因しているように思われる。

死刑・無期懲役・有期懲役・・・犯罪を犯したのだから刑罰は当たり前だ。ただ、死刑囚は生きていても必ず最後に死が待っている立場。無期懲役囚は仮釈放が認められにくくなっていることからして、一生を塀の中で過ごさなければならない立場。そして、有期懲役囚は、必ず社会に復帰する立場。これら立場の違いを踏まえて刑罰の意味を問い直す必要がある。

では、有期懲役囚に対する刑罰の意味とは如何?有期懲役囚が必ず社会に復帰することを踏まえれば、何より重要視されるべきは再犯を犯さないような人間にすることだ。そのためには教育が欠かせない。確かに、犯罪を犯した人間に国家が教育にかかるコストを投じる必要はない、刑罰は応報であってぶち込んどけばいいんだっていう考えもありうる。しかし、犯罪を未然に防止して新たな被害者をださないという社会的な利益は極めて大きい。既に犯罪を犯した人間には、犯罪性向があり、ここに教育コストを集中的に投じることは効率的な資源分配と考えることができる。加えて、被害者自身も加害者が犯罪を犯さない人間に更生すれば、お礼参りなどの不安も消えるし、新たな被害者をだすことを望んでいないんじゃないかな(最後の部分は、簡単にはいえないけど)。これらのことに鑑みると、有期懲役囚に対する刑罰は、応報よりも教育という側面を重視すべきだ。

では、刑務所内での有期懲役囚に対する管理は、教育という側面から行われているのだろうか?そうではないだろう。朝何時に起床して、夜は何時に消灯するという規則正しい生活をさせれば人間が変わる、なんていう小学生並みで、古い考えを捨てる必要がある。また、囚人は管理するのも困難な人間なんだから、このまま何事もなく外にだせばいいやという怠慢以外何物でもない考えを捨てる必要がある。これで有期懲役囚の犯罪性向が消えるわけがない。昔と違って、どのような人間が犯罪を犯したのか、その原因は何なのかについて犯罪の性質に応じた研究が進んでいる。これらの研究の成果を刑務所内での有期懲役囚に対する管理にも利用すべきである。旧態依然とした管理ではなくて、犯した犯罪に適したプログラムを構築する必要がある。

話を清水氏に戻そう。スターの道を歩んでいた清水氏に心のスキができてたことは容易に想像がつく。そして、何度も過ちを繰り返してしまう。ただ、報道によると何度も薬物から手をきりたくてインターネットでもその方法を調べていたという。彼は薬物から離れるべく努力したいと思ってた。立ち直る絶好のチャンスの服役中で、なんら薬物対策のプログラムを講じられず、無為に時間を過ごさせた。薬物を一度入れてしまった者に人間の意思の強弱は関係ない。彼の意思の弱さ『のみ』で問題を捉えるのは妥当ではないだろう。

失敗しては、何度も反省する。まるで、自分自身をみているようだ。。。。悲しいです。。。